ヤマダインフラテクノス株式会社
創業魂を未来へつなぐ。新社長・山田翔平が語る「努力と想像力」で切り拓く次世代のインフラづくり


ヤマダインフラテクノス株式会社
代表取締役
山田 翔平
1987年、東海市生まれ。2013年ヤマダインフラテクノス株式会社入社。2014年取締役営業本部長、2020年専務取締役を経て2026年7月代表取締役に就任。ウシワカ製作委員会 会長。(一社)日本鋼構造物循環式ブラスト技術協会 理事。日本建設職人社会振興連盟 専務理事。

アイアムデザイン株式会社
代表取締役
後藤 洋平
1983年、半田市生まれ。トライデントデザイン専門学校卒。アルペン社にて企画業務を経て2011年アイアムデザイン設立。山田翔平社長とは20代の頃からの音楽友人。ウシワカ製作委員会 副会長。
| 業界・業種 | 橋梁補修・保全工事、各種ブラスト工事など |
| 提供サービス | ・Webサイト製作 ・印刷物全般(会社パンフレット・工法カタログ・リクルートパンフレット・チラシ等) ・看板製作 ・動画、写真撮影など |
青春時代から知るからこそ語れる、山田翔平という人物像
後藤:本日はよろしくお願いします。翔平さんとの出会いは、私が20代の頃でした。確か山田さんは19歳くらいだったと思います。
共通の友人に連れられて現れた、元気いっぱいの青年でした。白いタンクトップにオーバーサイズのジーンズ、黒いハイラックスに乗っていて、音楽が大好き。毎晩のように一緒に遊び、青春時代を過ごしたことを今でもよく覚えています。
昔からムードメーカーでしたが、実はとてもシャイな一面もありました。長い付き合いだからこそ、言葉にしなくても分かり合える感覚があります。正直、御社の社員さんより私の方が翔平さんを知っているんじゃないかと思っています(笑)。
そんな翔平さんですが、私の第一印象はどのようなものでしたか。
山田:いやもう、変態オーラが出ていましたね(笑)。
後藤:ありがとうございます(笑)。
山田:いろんな意味で不思議な人だなと。でも、なぜか人を惹きつけるものがあった。最初の印象はそんな感じです。褒め言葉として受け取ってください。
後藤:ありがたく受け止めます(笑)。入社される前はどのようなお仕事をされていたのでしょうか。
山田:最初の紹介にもあったように、私は音楽が好きでした。次男坊ということもありましたし、職人のアルバイトなどもしていましたが、音楽に関わりながら普通に仕事をしていけばいいかなと思っていました。海外へ行ったり、DJなど音楽に関わることが好きでした。
ただ、いろいろなことがあって、「やっぱり自分がやらなければいけない」という転機が訪れました。そこで日本ペイントへ修行に行くことになりました。4年間働かせていただいたのですが、当時はコンクリート補修材料を販売する営業を担当していました。コンクリート補修事業について勉強させていただき、4年後に山田塗装へ戻ってきました。
後藤:日本ペイントではどのようなことを学ばれましたか。
山田:私は塗装屋の息子として修行に行かせてもらった立場でした。当時、目の前には同業者の後継者として修行に来ている先輩方もたくさんいました。やはり負けられないという気持ちはありましたね。普通の会社員として勤めるのではなく、周囲からの期待や背負っているものがあります。そうしたプレッシャーを感じながら仕事をしていました。日本ペイントというブランドを活用させていただきながら、設計コンサルタントの方々や施工業者の方々など、本当に多くの方と関わる機会をいただきました。仕事に対する姿勢や人とのつながりなど、多くのことを学ばせていただいたと思っています。

「塗装屋では橋は直せない」悔しさが変革の原点になった
後藤:改めて、ヤマダインフラテクノスの事業について教えてください。
山田:ご存じの通り、私たちは橋を塗り替える仕事からスタートしました。ただ、現在は「塗装屋から脱却する」という目標を掲げています。橋を総合的に直す会社にならなければいけないと思っています。私たちは職人を自社で抱えています。もちろん施工管理も行いますし、総合補修として管理全般も行いますが、一番の強みは現場に職人がいることです。職人がいるからこそ、現場で本当に必要なものが分かる。その気付きが技術開発につながります。現場を見ていないと、本当に使えるものは作れないと思っています。
だからこそ、新しい道具や新しいやり方を追求し、作業性の向上につながるものや、世の中の役に立つ新工法を開発していきたいと思っています。
また、開発した技術をどのように世の中へ出していくかという部分も重要です。
発注者の皆さまや国民の皆さまにとって使いやすい形を整えていくことも、私たちの得意とするところだと思っています。

後藤:塗装屋から現在の事業へ切り替わったのは、どれくらい前でしたか。
山田:12〜13年前くらいですね。私が日本ペイントから山田塗装へ戻ってきた頃、橋梁補修工事が増え始めていました。そこで愛知県をはじめ、博文会長といろいろなところへお願いに回っていました。「橋梁補修工事の入札に参加させてほしい」と。そのときに言われたんです。
「山田塗装という名前では指名に入れられない」と。
そこで気付きました。塗装屋に橋は直せないだろうという固定観念が発注者側にもあったんです。悔しかったですね。でも、それが良い転機になりました。塗装屋から脱却していく。創業から続く塗装技術を活かしながら、会社を変えていく。そう考えるようになりました。
後藤:懐かしいですね。旧社屋の2階で社名の話をしていましたよね。
山田:そうですね。博文会長がタンクトップで、「名前を何にするんだ」と話していました(笑)。山田は残そうか。インフラテクノロジーにしようか。いろいろ話していました。自分たちの歴史をあまり振り返るタイプではないのですが、今思うと大きな転機だったと思います。
現場に答えがある。職人集団だからできる技術開発
後藤:AIやテクノロジーが急速に進化しています。業界は今後どのように変わっていくと思われますか。
山田:もうすでに変わり始めていると思います。弊社でも、国土交通省から中部DX大賞をいただいた安全監視システムがあります。
現場の安全管理を機器で行い、その情報をクラウドへ上げて総合管理する仕組みです。自社で開発し、現場へ導入しています。DXや働き方改革への貢献につながる取り組みだと思っています。
こうした取り組みの出発点は、やはり現場なんです。現場で出てくる困りごとを、人だけで解決するのではなく、デジタルの力で補っていく。そういった技術は今後さらに増えていくと思います。
後藤:弊社で制作させていただいたWebサイトも約3年が経ちました。何か反響はありましたか。
山田:反響はありましたね。最初のテーマとして、「従来の塗装屋のホームページではないものを作ろう」というところからスタートしました。かなりぶっ飛んだ内容だったと思います。
正直、「なんじゃこりゃ」という反応もありました(笑)。でも、その「なんじゃこりゃ」が広がっていったようにも感じています。今後も進化していきたいですし、「宇宙」をテーマにした表現なども取り入れながら発信してきました。物販サイトなども含めて、見応えのあるサイトになっていると思います。

受け継ぐのは会社ではなく、“創業魂”
後藤: 翔平さんは博文会長から会社を継承され、令和8年7月1日付で代表取締役に就任されました。
これからどのような会社にしていきたいと考えていますか。組織のことでも、社風のことでも、テクノロジーのことでも構いません。思い描いている未来像を教えてください。
山田: 私は、外吉さんと博文会長の背中を見て育ってきました。
そして当時の職人さんたちからたくさんのことを教えてもらいました。子どもの頃から、義理人情であったり、職人としての誇りであったり、そういったものを感じながら育ってきました。その中で、今会社として大切にしている言葉があります。
2年ほど前から改めて復活させた言葉なんですが、
「それで良いのか。」
という言葉です。
博文会長と10年、13年と一緒にやってくる中で、いろいろな言葉が生まれてきました。
「我々の未来は努力と想像力で作られる。」「ゴミを減らして世界を変える。」「豊かな日本のために橋を守り続ける。」
そういった言葉もあります。私は、こうした社会性に満ちた会社にしていきたいと思っています。
後藤: もう少しお聞かせください。博文会長の尊敬しているところがあれば教えてください。
山田: たくさんあります。その中でも一番は、「やると決めたらやること。」そして、「何もないところに道を切り開く力。」
これは本当にすごいと思います。私にはまだまだ足りない部分だと思っていますし、尊敬しています。

欲しいのは経験より熱量。未来をつくる仲間の条件
後藤: 翔平さんはいつも「人が足りない」とおっしゃっています。今後、御社への入社を希望される方の参考として、どんな人と一緒に仕事がしたいか教えていただけますか。
山田: まず、働く上で必要なことは、仕事ができるとかできないとか、そういう話ではないと思っています。仕事ができるようになるためにも、自分で殻を破らなければいけません。もっと欲しい。もっと成長したい。そういう気持ちがないと、どこかで自分に線を引いてしまうんです。私は、「仕事ができるから一緒に働きたい」ではなく、「気持ちが良いから一緒にいたい」という考え方なんです。
そういうマインドがないと、新しい文化をつくることはできないと思います。未知のところへ突っ込んでいく。自分たちで何とかしようとする。世の中のために何とかしようとする。そういう人と仕事がしたいです。
これまでを振り返っても、高校や大学で土木を情熱的に学んだ優秀な人。他業種から来た、やる気に満ちあふれた人。そういう人が入ってくると面白いなと思います。自分で文化をつくる。創意工夫をする。そこが大事なんです。どれだけ勉強ができても、どれだけ上手にペンキを塗ることが出来ても、それはみんなできるようになります。でも、新しいものをつくる。新しい文化をつくる。そこに喜びを感じられる人。もちろん基礎は必要ですが、そういう人でなければ一緒に仕事はしたくないです。
それが、私たちが言う「我々の未来は努力と想像力で作られる」ということなんです。
後藤: まさにその通りですね。努力して、想像して。それが創業魂であり、「それで良いのか。」につながっていくわけですね。

60歳で引退。そのために今、本気で会社をつくる

後藤: 最後に、翔平さんご自身の未来についてもお聞きしたいと思います。個人的な夢や目標があれば教えてください。
山田: 創業者の山田外吉前会長は60歳で引退しました。博文会長は今63歳、64歳になる年です。その息子である私が事業を承継します。私の目標は、60歳で引退すること。博文会長は4年オーバーしてしまったのは私の責任です(笑)
そしてここからは野望です。
自分の趣味である琵琶湖にこもることです。湖畔に1,000坪くらいの大きな平屋を建てたいんです。想像してください(笑)。
琵琶湖が見えるんです。そこにボートが何台も並んでいます。いつもお世話になっているお客さんたちを招待します。
そこで夢を語ります。一緒に美味しい食事をします。一緒に釣りをします。
それが、「牛若道場 in 琵琶湖」です。
新入社員が4月2日に入社式を終えたら、そのままバスで琵琶湖へ行くんです。そこでまず、自分自身と向き合います。自分史を書きます。自分は何者なのかを考えます。親への感謝、世の中への感謝。そういうことを考えます。そして毎朝釣りをします。でも琵琶湖は毎日違います。雨の日もあります。曇りの日もあります。寒い日もあります。釣れる日もあります。釣れない日もあります。
「なんで今日は釣れなかったんだろう。」「明日は何を投げようか。」「環境はどう変わるんだろう。」そういうことを考えるんです。
私は、それが世の中と同じだと思っています。事業もそうです。調子の良い時もあります。仕事が取れる時もあります。うまくいかない時もあります。事故が起きる時もあります。良いことも悪いこともあります。そういう変化を想像して、乗り越えていく。それを学ぶ道場を2週間くらい開催して、最後に、「日本国のために命を使い切ります。」と言って解散する。そんなことを本気でやりたいと思っています。
後藤: いいですね。私も行きたいです(笑)。その頃も私は翔平さんの隣にいると思います。毎日釣りをしたいですね。
山田: それが私の野望です。本当にやりたいと思っています。

会社は人生を豊かにするための道具である
後藤:では最後に、会社としての目標をここで宣言していただけますか。数字でも施工実績でも、何でも構いません。
山田: 数字の目標ももちろんあります。ただ、私が一番大切だと思っているのは仲間です。自分たちで自分の人生を豊かにできる。そのための道具として会社が機能し始めたら、ものすごく活気のある組織になると思っています。
働くというと、「会社のために働きます」という人がいます。もちろんそれも大切です。でも、私がいつも社員に聞くのは、「あなたは60歳の時に何をしたいんですか。」ということです。「どんな人生を送りたいんですか。」ということです。やりたいことが明確な人は強いと思います。その夢を叶えるためにヤマダインフラテクノスにいる方が良いのか。それとも別の会社の方が良いのか。そういう判断基準を持つことが大切だと思っています。
まずは自分の野望を持つこと。そして、それを叶えるために会社という組織の中で一緒に仕事をし、社会に貢献していくこと。入社してからどう成長していくかを一緒に考えること。そういう社員が増えることで、幸せな会社になっていくんじゃないかと思っています。

10代の頃から変わらない翔平さんの行動力や発想力。
今回の対談を通じて感じたのは、根幹には創業者から受け継いだ職人としての誇りがあるということ。塗装会社として始まったヤマダインフラテクノスは、橋を守り、日本のインフラを支える企業へと歩みを進めています。そしてその未来をつくるのは、一人ひとりの挑戦でした。
2026年7月1日。新たな体制のスタートとともに、ヤマダインフラテクノスがどのような未来を描いていくのか。これからの歩みを楽しみにしています。